パダワン

趣味のことから時事ネタまで

【義烈空挺隊】全身に爆弾を巻き付け散った日本軍最精鋭の決死部隊

今回は太平洋戦争中、敵飛行場に輸送機で強行着陸して、敵航空機と飛行場施設を破壊することを目的として作られた「義烈空挺隊」という決死部隊を紹介します。

 

 

f:id:Star-Koin:20190915161750p:plain

お守りの人形を携えた出撃直前の隊員

義烈空挺隊とは

 大戦末期、サイパン島がアメリカ軍に占領されたことにより戦略爆撃機B-29による首都圏への空襲の懸念が一気に高まったため、敵の飛行場に特殊部隊を送り込み、地上でB-29を殲滅しようと計画したことから始まりました。

空挺隊員は猛訓練に明け暮れていて、練度は高く正に特殊部隊というにはふさわしかったといいます。実際に鍛え抜かれた空挺隊員の体格を見た人は「こんな逞しい兵隊が日本にいたのか」と驚いています。また、出撃の様子を撮るカメラマンの人も真黒く日焼けし眼光だけが異常に鋭い義烈空挺隊員の風貌に驚き、全員が柔道、剣道有段者の猛者ばかりと聞かされてさらに驚き、今まで日本陸海軍のあらゆる部隊を幾度となく取材してきたカメラマンの人も、こんな荒っぽいが厳しい訓練を初めて目にして、義烈空挺隊の精強さに衝撃を受けています。これは、義烈空挺隊を空輸する諏訪部忠一大尉率いる第三独立飛行隊についても同様だったと記録されている。

この部隊は空挺部隊ではあったが落下傘で降下するのではなく、空挺隊員が搭乗する輸送機がアメリカ軍飛行場に強行着陸し、その後に隊員が機体から飛び出して破壊工作を行う作戦が隊員達に伝えられました。しかし、もちろんこれでは玉砕は避けることができず部隊の士気はなかなか上がりませんでした。そこで搭乗員には「敵B-29を奪取し、これを操縦して帰還すべし」という新しい任務が与えられたことによって、部隊の士気は大いに上がりました。

www.youtube.com

空挺隊員の装備

空挺隊員は日本軍では数少なかった一〇〇式機関短銃や八九式重擲弾筒を含む各種小火器で重武装したうえに、手榴弾10~15発を詰めた弾帯や雑のう、破甲爆雷、二瓩柄付き爆薬などの破壊機材も装備して、まさしく特殊部隊そのものの重装備だった。

また、出撃前、隊員達は墨汁で黒く迷彩をしていたことが知られている。

f:id:Star-Koin:20190918214153p:plain

墨でお互いに迷彩している。

出撃まで

空挺部隊はサイパンや硫黄島への敵飛行場への計画が立てられましたが、めぐるましい戦局の中でなかなか作戦は決行されませんでした。いつしか隊員らは出撃もせず毎日美食している自分らを、「義烈空挺隊」の部隊名を捩って「愚劣食放題」と自虐的に自称していました。

日本陸軍最精鋭の義烈空挺隊への期待は大きく、実戦投入するタイミングは難しかったといいます。

 

突入

しかし遂に、沖縄への強襲が決定しました。健軍飛行場から12機の九七式重爆撃機に飛行隊隊員2~3名、空挺隊員11~12名が搭乗しました。12機のうち6機が沖縄の北飛行場に強行着陸、さらに2機が中飛行場に着陸、残りの4機は発動機の不調などにより目的地に辿り着けず途中で帰還と日本軍では報告されていたが、アメリカ陸軍省の記録では北飛行場にたった1機のみ、胴体着陸・挺身攻撃に成功と記録されています。その他の機体は激しい対空砲火により北飛行場上空で炎上撃墜され、遺体数も確認されています。

f:id:Star-Koin:20190918221527j:plain

義烈空挺隊への米軍の激しい対空砲火

胴体着陸を試みた爆撃機のうち、最後に突入した一機が対空砲火をかい潜って北飛行場の滑走路に胴体着陸、10名程の完全武装の空挺隊員が予定通りに航空機に対する破壊活動を行いました。

戦果

F4U戦闘機2機、C-54輸送機4機、PB4Y-2爆撃機1機が破壊され、B-24爆撃機1機、F6F戦闘機3機、F4U戦闘機22機が損傷し、合計26機の被害が後の調査で確認されました。さらにドラム缶600本の集積所2箇所が爆破され炎上、70,000ガロンの航空機用燃料が焼失しています。

義烈空挺隊は12機中、1機突入成功、4機突入断念、7機被撃墜という非常に無念な結果となりました。

f:id:Star-Koin:20190918222739p:plain

義烈空挺隊指揮官 奥山道郎大尉

まとめ

今回はこの動画からも、いくつか画像を使わせてもらいました。

www.youtube.com

未来有望な若者が戦争によって、このような作戦に巻き込まれてしまうのは本当に悲しいことです。二度とこの惨劇が繰り返されぬように、政治などに今以上に関心を持たなければいけないなと思いました。