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【人間動物園】サルと展示された男の悲しき人生

人間動物園とは19世紀から20世紀にかけて行われた、小人症、アルビノ、脊柱側弯症といった身体障害者や未開とされた人間の文化・生態展示をすることです。今回はその中でも「オタ・ベンガ」という黒人男性を簡単に紹介します。

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 「オタ・ベンガ」とは

オタ・ベンガは、1883年にコンゴで生まれたピクミー族の黒人男性です。ベンガは結婚していて2人の子供もいました。しかし当時コンゴはベルギーに支配されていて、ベンガが住んでいる場所にも軍隊が送り込まれてしまい妻と子供が殺されてしまいます。このときベンガは狩りに出掛けていて命は助かりました。

奴隷になる

命は助かったものの奴隷にされてしまい、アメリカ人宣教師S・P・ヴェルナーに買われてしまいました。その後、ヴェルナーはベンガと数人の部族をアメリカに連れて行き、1904年のセントルイス万国博覧会に参加させます。

博覧会で人気爆発

ベンガはこの博覧会で低身長と鋭い歯で人々の注目を集めました。この鋭い歯はアフリカの習慣によるものです。これによりベンガはとても人気になり、新聞記事によって全国に名を知られるようになります。

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”展示物”になる

そらから博物館などでの生活を経て、ついにベンガは動物園の展示に加えられてしまいます。これにより動物園の訪問者は増えます。しかし、やはり想像の通り、動物と同等の扱いをされて人々から絶えず好奇の目で見続けられることはかなりの苦痛です。ベンガは飼育係をナイフで脅して逃げ出しました

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コンゴへ帰りたい...

逃げ出した後はニューヨークの牧師たちの手配によりある一家の家に滞在し、一家の兄弟と自然を楽しみました。しかし、ベンガにとってそこは遠い異国の地です。ベンガはお金を貯めて故郷に帰ろうとしましたが、第一次世界大戦が勃発してしまい、帰郷できなくなってしまいました

1916年3月20日、ベンガは自殺してしまいました。このときまだ32歳という若さでした。この波乱の人生によって精神を病んでいたと言われています。

まとめ

【人間動物園】、このようなものがかつて存在していたこと自体が驚きです。妻子供殺された上で、異国の地で奴隷にされてしまったベンガさんの辛さは想像にも及びません。いつか一切の差別が無くなる日が来てほしいと改めて思いました。